判断は、哲学から生まれる

判断は、哲学から生まれる

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ルールブックには書かれていないけれど、これはどう判断すればいいのか――。 女性エグゼクティブやリーダーを目指す人であれば、誰もが一度はその問いに行き当たるのではないでしょうか。 元ポーラ社長であり、Toget-HER代表理事でもある及川美紀さんは、「結局は哲学なのです」と話してくれました。ここでの哲学とは難しい理論ではなく、自分の中の倫理観に基づいた判断基準のこと。 本連載では、及川さんが日々の体験を通して育んできた、女性エグゼクティブに必要な判断基準=「じぶんのものさし」を、ご自身の言葉で綴っていきます。 初回は、歌舞伎や文楽への眼差しを通して見えてきた、及川さんらしい「じぶんのものさし」の源流をお届けします。 「違和感」が思考の種になる 文楽も歌舞伎も好きで、東京公演にはよく足を運びます。今年の一月は『鏡山旧錦絵』、三月は『通し狂言 加賀見山再岩藤』を観ましたが、どちらもとても面白く、改めてこの芸能が長く続いてきた理由を考えさせられました。一月の『鏡山旧錦絵』の後日譚として三月に『加賀見山再岩藤』が上演されていて、その連なりで観ると、より構造が見えてくるのも印象的でした。人間関係や感情の機微、時には世の中への皮肉のようなものまでが織り込まれていて、ある意味で非常によくできた「人間の話」になっているからこそ、時代を超えて残り続けているのだと思います。 観ていると、「よくここまで作り込まれているな」と思わず感心してしまう瞬間があります。その一方で、これは男性が作った物語なのだなと、途中で少し立ち止まる感覚もあります。女性の行動や感情の描かれ方が、ある前提のもとで組み立てられているように見えるのです。 たとえば、物語の中では「あっぱれ忠義」といったかたちで称賛される場面がありますが、その背景を辿っていくと、もともとは男性側の都合や出世欲の中で動かされている構造が見えてきます。それなのに、最終的には「女の情念は恐ろしい」という話に回収されていく。そこに少し違和感が残るんですよね。一緒に観ていた人たちとも、「いや、それは違うんじゃないの?」と話しながら、半分は呆れつつ、半分は面白がりながら観ていました。当時の価値観としては成立していても、いまの視点では矛盾している。それでもなお面白いと感じてしまう。その矛盾を含めて成立しているところに、この芸の強さがあるのだと思います。 こうした作品は当時の価値観をそのまま残しているからこそ、その前提や構造がいまの自分の前に立ち上がってきますが、そのルールが現在においてもそのまま通用するとは限りません。むしろ、そのズレに気づくこと自体が、今の自分にとって意味を持っているように感じます。 判断は「哲学」から生まれる AIによって、意思決定を担う立場で判断を考えるとき、最近よく思うのは、結局は「哲学」なのだということです。ただしここでいう哲学とは難しい理論ではなく、自分の中で「これは違う」と言えるかどうか、その基準のことだと思っています。 日本の教育は、どちらかというとルールを守ることを徹底してきました。道徳は教わっても、倫理はあまり教わらない。でも経営の現場では、誰かが決めたルールを守るだけでは足りない場面が必ず来ます。会社の規約に書かれていないことを判断しなければならない局面、声を上げることを求められる瞬間。そこで「ちょっと、それは違うのではないか」と言えるかどうかは、ルールの話ではなく、自分の中に哲学があるかどうかの話です。特に女性エグゼクティブはまだマイノリティです。流れに身を任せることが最も楽な選択肢に見えるときほど、自分の中の基準が問われる。だからこそ、単にルールを遵守するということではなく、自分の中に倫理観を持つことが重要なのです。そしてその倫理観に基づいて議論できるようになっていくのです。そうしたことが、これからますます重要になってくると思っています。 「書きもの・生もの・語るもの」を巡る旅 では、その基準はどこから来るのかと考えると、特別な方法があるわけではなく、私自身は書きもの・生もの・語るものの積み重ねなのだと感じています。本を読むことで多様な考えに触れ、人と会うことでいまの社会の動きを知り、現場という生ものに足を運ぶことで自分には見えていなかった現実に出会う。そして、それらについて誰かと語ることで、はじめて思考が動き出すのだと思います。 たとえば社会の中で動いている人たちに会うと、「このままではいけない」と感じて行動している人たちがいて、その視点に触れることで初めて見えてくるものがあります。企業の中で意思決定に関わる立場にいると、それらを単なる情報として受け取るのではなく、自分たちの判断にどう結びつけるかを考えざるを得ませんし、そのためには一人で考えるだけでは足りず、人と話すことで思考を動かし続ける必要があります。 文化体験が哲学を磨く カルチャーに触れることも同じで、一見すると直接関係のないように見えることでも、後から効いてくることがあります。たとえばベートーヴェンの何番が好きかという話になったときに、「それはいいですね」と自然に応じられるかどうかは、単なる知識ではなく相手への理解や共感に関わるものであり、そうした引き出しがあるかどうかで関係の深さも変わってくるのだと思います。また、日本という社会を理解していなければ外の世界について語ることはできず、日本の文化を知ることは結果として他の文化への理解にもつながっていきます。 だからこそ、好きかどうかに関わらず一度は経験してみることが大切で、その中で感じた違和感や面白さの両方が自分の中に残り、後になって別の場面で「あのとき感じた構造と似ている」と思い出されることがあります。歌舞伎を観ていて感じた違和感も同じで、その場で終わるのではなく、別の判断の場面でふと立ち上がってくるものなのだと思います。 女性エグゼクティブにとっても、こうした文化に触れることは決して余分なものではなく、むしろ意思決定の場に立つほど、何をどう見るか、どう感じるか、そしてそれをどう言葉にするかが問われるようになります。そのときに支えになるのは、日々の中で触れてきたものの質と量であり、おそらくそうした積み重ねの中でしか、判断は形づくられていかないのだと思います。

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