1891年 オーストリア フランツ・ヨーゼフ1世 1ダカット金貨
特徴 1891年にオーストリア=ハンガリー帝国で発行された1ダカット金貨には、後に「不死鳥」と呼ばれることになるフランツ・ヨーゼフ1世の肖像画が描かれています。フランツ・ヨーゼフの時代のハプスブルク家は、オーストリア皇帝とハンガリー王を兼ねていました。 日本でもよく知られた欧州の名門であり、650年にわたり中欧を中心に、ヨーロッパの歴史の一端を担ってきました。フランツ・ヨーゼフ1世は、実質的に最後の皇帝としてカリスマ的な人気を誇ります。 この1ダカット金貨が発行された1891年、フランツ・ヨーゼフ1世は在位40年を超え、61歳を迎えていました。オーストリア帝国は、通商と統治のバランスを保ち、安定を享受していた時期です。 一方でヨーロッパ全体に目を向けると、前年の1890年には、ドイツ帝国宰相ビスマルクが退任。対フランス包囲網を構築するため、長年にわたり諸国間の外交の主導権を握っていたビスマルクの退任で、同盟関係にあったオーストリアの平和にも軋みが生じつつありました。 フランツ・ヨーゼフ1世の家庭でも、悲劇が起こっていました。 1889年、フランツ・ヨーゼフ1世の唯一の息子で皇太子であったルドルフは、マイヤーリンク事件で謎の死を遂げます。美貌で知られた妃エリーザベト(通称シシィ)ともども、深い衝撃を受けたと伝えられています。 帝国内に広がる民族主義、ヨーロッパ各国のパワーバランスの変化、家庭内の悲劇など、さまざまな困難に直面していたフランツ・ヨーゼフ1世。しかし1891年発行の1ダカット金貨に描かれた皇帝の肖像は、毅然とした表情を見せています。ハプスブルク家のシンボルともいえる双頭の鷲も、精巧な技術で刻まれ、欧州随一の名門としての誇りが伝わります。 このデザインの1ダカット金貨は、1872年から1915年まで、40年以上にわたって発行されました。フランツ・ヨーゼフ1世自身の人望と徳を伝える金貨として、高い人気と評価を持っています。 概要 1891年に発行されたフランツ・ヨーゼフ1世の1ダカット金貨の概要を解説します。 長期にわたって発行された金貨 フランツ・ヨーゼフ1世の1ダカット金貨は、金の純度が高いことで知られています。このデザインの1ダカット金貨の発行が始まったのは1872年。1915年まで40年以上にわたって発行されました。 フランツ・ヨーゼフ1世も、68年という長い在位期間を誇る君主。彼の安定した存在感を証明するかのような1ダカット金貨は、ハプスブルク家人気と相まって、高く評価されています。 精緻なデザイン フランツ・ヨーゼフ1世が統治した時代、オーストリア帝国は多民族国家でした。その領土は、ドイツ人やハンガリー人、チェコ人やルーマニア人などの民族が住む広い地域にわたります。 そうした国情を反映して、ハプスブルク家の紋章は非常に複雑です。双頭の鷲のそれぞれは、統治する東西を向いているといわれ、オーストリアとハンガリーの国章がデザインされています。 月桂冠を戴きひげを蓄えたフランツ・ヨーゼフ1世の肖像画は、写実的でありながら理想的な君主の姿をしており、芸術性の高い1枚です。 刻まれた文字からわかるオーストリア帝国の偉大さ 多民族国家オーストリア帝国の実情は、コインに刻まれた文字からも明らかです。 フランツ・ヨーゼフ1世の肖像を囲む文字は「FRANC IOS ⅠD G AUSTRIAE IMPERATOR」。「神の恩寵を受けたオーストリア帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世」です。 裏面には「HUNGAR BOHEM GAL LOD ILL REX A A」の文字。 これは「ハンガリーおよびボヘミアの王、ガリツィアとロドミアの王(現在のポーランド南東部とウクライナ南部)、イリュリア(現在のスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビア、アルバニアにまたがる地域)の王にして、オーストリア大公」という意味です。 オーストリア帝国は、幾世紀もの間、これらの民族を平和に統治してきた国でした。 歴史的背景 1891年、フランツ・ヨーゼフ1世のダカット金貨が発行された時代について、わかりやすく解説します。 フランツ・ヨーゼフ1世が受け継いだオーストリア帝国を巡る情勢 フランツ・ヨーゼフ1世が即位したのは1848年。18歳の若い皇帝は容姿端麗で凛々しく、老大国の救世主として、国民の絶大な支持の中で即位しました。 しかしこの年、ヨーロッパではさまざまな事件が起こっています。 フランスでは二月革命が勃発、ルイ・フィリップ王は追放され、労働者たちによって臨時政府が樹立されました。 ドイツとオーストリアでは三月革命がおき、ヨーロッパの政治秩序の再建に寄与したメッテルニヒが追放。 東ヨーロッパでは、ハンガリー人やチェコ人が独立運動を起こしており、ヨーロッパは激動の時代に入ろうとしていました。 このような情勢の中で即位したフランツ・ヨーゼフ1世。彼はドイツ語だけではなく、フランス語やイタリア語、ハンガリー語にも通じていたといわれ、ヨーロッパの新しい時代を担う皇帝として大いに期待されました。 嵐の前の静けさ?平和を享受していた時代 1891年当時のフランツ・ヨーゼフ1世は、すでに在位40年を超えており、円熟味を加えていました。各地の領土や民族に通商を介して利益を与え、安全を保障するというオーストリア帝国のスタイルが、形を保っていた時代です。 世界大戦直前の比較的平和なヨーロッパを象徴するコインであり、帝国が安定した時代の輝きを凝縮していたといえます。 忍び寄る悲劇と世界大戦の足音 とはいえ、当時のフランツ・ヨーゼフ1世には君主としての苦悩もありました。 1867年には、メキシコ皇帝を名乗った弟のマクシミリアンが捕虜となり死亡。 1889年には、唯一の息子のルドルフが自殺。「マイヤーリンク事件」として有名なルドルフの死は、現在も謎に包まれています。 跡継ぎを亡くしたフランツ・ヨーゼフ1世は、甥のフランツ・フェルディナンド大公を世継ぎとして指名します。フランツ・フェルディナンド大公は1914年にサラエボで暗殺されますが、これが第1次世界大戦への引き金となりました。 ヨーロッパの各地では民主主義運動が活発化しており、フランツ・ヨーゼフ1世も大帝国の難しいかじ取りを余儀なくされていたといわれています。 一方で、君主としてまれに見るほど勤勉であったフランツ・ヨーゼフ1世は、治世を通じて国民に人気がありました。 美貌で有名なフランツ・ヨーゼフ1世の王妃エリーザベト フランツ・ヨーゼフ1世の金貨の人気は、彼の妻エリーザベト(通称シシィ)によるところも大きいといわれています。 映画や宝塚の演目でもテーマになる后妃エリーザベトは、欧州随一の美貌の持ち主として知られていました。君主としては珍しく、恋愛で結ばれたエリーザベトもまた1898年にスイスで暗殺される運命にありました。 1891年に発行された1ダカット金貨は、ドラマチックなフランツ・ヨーゼフ1世の人生の一部を伝える歴史的な遺品といえるでしょう。
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