1885年 オーストリア フランツ・ヨーゼフ1世 インスブルック射撃祭 金メダル MOROSINI-1680 13.95g
特徴 1885年にオーストリアで発行された4ダカット相当の金メダルは、インスブルックの射撃祭を記念して発行されました。法定通貨ではなく記念メダルであるため、発行数が非常に少ないといわれています。 オーストリア西部に位置するチロル州の州都であるインスブルックは、山々に囲まれている地勢から射撃が盛んでした。中部ヨーロッパとイタリアを結ぶ交通の要衝であり、ハプスブルク家と縁が深い土地柄です。 メダルにデザインされたフランツ・ヨーゼフ1世は威厳に満ちた崇高な姿。インスブルックの人びとの皇帝への敬愛が伝わります。 また、本品は重量13.95gを誇る、4ダカット相当の大型金メダルです。一般的な流通金貨とは異なり、射撃祭という特別な催事のために製作された点も大きな特徴。金そのものの存在感に加え、19世紀オーストリアの射撃文化とハプスブルク帝国の華やかさを同時に楽しむことができます。 さらに本品は、NGCからPF63 ULTRA CAMEOの評価を受けた最高鑑定(TOP POP)の一枚です。鏡面状のフィールドと、フランツ・ヨーゼフ1世の肖像や細かな装飾が鮮やかなコントラストを生み、細部まで美しく鑑賞できる点も魅力です。 メダルの状態は、製造当時の輝きをよく残しており、彫りの美しさも際立っています。きわめて希少で、ハプスブルク家の愛好家に限らずコレクターなら手にしたい魅力を備えています。 概要 1885年、インスブルックで開催された射撃祭のために発行されたフランツ・ヨーゼフ1世の金メダルについて、概要を解説します。 デザイン 1885年当時、50代半ばだった皇帝フランツ・ヨーゼフ1世。18歳で即位したフランツ・ヨーゼフ1世は当時、名実ともに皇帝として円熟期にありました。 通常のコインにデザインされる肖像画よりも、重厚な衣装が占める部分が多いため、三角形の安定した構図になっています。髭や髪の一筋、衣装のしわ、勲章のリアリティなどから、立体感のあるデザインが魅力的です。 デザインしたアントン・シャーフとアーノルド・ブッソンの名前が、皇帝の右腕のあたりに刻まれています。2人は同時期にウィーンの造幣局で働き、国家レベルのメダルのデザインを手掛けていました。 とくにシャーフは、古典的な造形美のなかに人柄が見えるような表現を得手としていました。1885年のメダルからも、真摯な皇帝像が伝わります。 メダルの文字 メダルに彫られた文字、表面は次のような文です。 FRANZ · KAISER · V · ŒSTER · ETC · G · V · TIROL (オーストリア皇帝、チロル伯爵、その他の称号を有するフランツ・ヨーゼフ) フランツ・ヨーゼフ1世が持っていた称号は、数十におよぶといわれています。 その中で、インスブルックを中心とするチロル伯爵の称号が書かれたのは、この地で行われる射撃祭を重んじたためです。また16世紀から帝国の主要都市として機能していたインスブルックへの敬意も込められているといえます。 裏面の文字は、ハプスブルク家の双頭の鷲を囲むように、次のように書かれています。 ZWEITES ⦂ ŒSTER · BUNDES SCHIESSEN · INNSBRUCK · 1885(第2回 オーストリア連邦射撃大会 インスブルック 1885年) オーストリア帝国の射撃大会は、不定期ではあったものの、フランツ・ヨーゼフ1世の治世下のさまざまな都市で開催されていました。開催記念のメダルもいくつかありますが、なかでも1885年のインスブルックのメダルは、デザインの美しさで群を抜く評価を得ています。 歴史的背景 1885年にインスブルックで開催された射撃祭を記念した金メダルをよりよく知るために、歴史的背景を解説します。 オーストリア帝国におけるインスブルック インスブルックは、アルプス山脈の東部に位置しています。インスブルックを中心とするチロルは、13世紀に伯爵領が統一され、14世紀半ばにはハプスブルク領に帰属しました。 ハプスブルク家の中興の祖と呼ばれるマクシミリアン1世(1459~1519)は、インスブルックに宮廷を置き、この地を愛したといわれています。マクシミリアン1世によってインスブルックでは文化の華が咲き、彼が建てさせた「黄金の屋根」は今も観光地として有名です。 1805年、ナポレオン支配下で、インスブルックはバイエルン王国領となりました。しかしインスブルックの人たちはハプスブルク家寄りの心情を隠さず、反乱まで勃発しました。 念願かなって1814年にハプスブルク家領となったインスブルックは、とくに皇帝への敬愛の念が深い土地柄でした。 1885年当時のフランツ・ヨーゼフ1世とオーストリア、そしてヨーロッパ ヨーロッパ各地で起きていた民主化運動を重く見たフランツ・ヨーゼフ1世は、ハンガリーに住むマジャール人を尊重し、1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国を宣言。オーストリアとハンガリー王国が法律的に同等であることを強調しました。 ハプスブルク家が治めるオーストリア帝国は、そもそも各地の多民族によって構成される国でした。そのため、「ハンガリーに認められた独立を我々にも!」という運動が、帝国内の各地で広がっていきます。 フランツ・ヨーゼフ1世は穏健な皇帝であり、争いを好みませんでした。各地で起こる独立運動に対して、「ウィリーブス・ウニティス(Viribus Unitis)」つまり「一致協力して」をモットーに、帝国の運営に努めたのです。 実際、当時のクロアチアやセルビアは独立国となるにはあまりに脆弱で、オーストリア帝国内の領邦として独自性を発揮する方が、安全で平和な生活が享受できたといわれています。 1885年当時のオーストリア帝国は、まさにこうした社会が存在し得た最後の時代でした。やがて、1914年のサラエボ事件をきっかけに、オーストリア帝国は終焉へと向かうことになります。 インスブルックの人びとの皇帝への思いがこもった金メダルには、古き良きヨーロッパの輝きが伝わってきます。
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