対話とは、リスペクトである

対話とは、リスペクトである

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同じ言葉を聞いても人によって受け取り方が違っていたり、同じものを見ても見えているものが違っていたりすることがあります。仕事を重ねて自分なりに育ててきた判断基準も、誰かと向き合うときには問い直す必要があるのかもしれません。 元ポーラ代表取締役社長であり、一般社団法人Toget-HER代表理事の及川美紀さんは、この春から、大学院でウェルビーイングについて学んでいます。対話やアートについて学ぶなかで、改めて考えるようになったのが「人を理解する」ということでした。相手が何を大切にしているのか、その背景まで知ろうとすると、自分自身の判断基準も問い直されていくといいます。 人を理解するためには、何に目を向ければいいのか。 今回は、及川さんが学びのなかで捉え直している、対話とリスペクトについて伺いました。 30秒の沈黙に、何を見るか 30秒の沈黙は、ビジネスの場では思いのほか長く感じます。私は長く企業で働いてきたので、「1分で話す」「結論から先に伝える」といったことが身についています。限られた時間のなかで話を聞き、判断し、仕事を前へ進める。だから、相手が黙っていると「何か言わなければ」「次の話へ進まなければ」と考えてしまうのです。 大学院で対話について学ぶなかで、先生にそのことを話しました。すると先生は、相手が黙っているときには「この人は、なぜ黙っているのだろう」と考えるのだと話してくれました。一生懸命に話している人を見れば、その言葉が出てくる背景が気になり「どのように育ってきたのか」と、生い立ちまで聞きたくなることもあるのだそうです。 人に興味を持つとは、そういうことなのか。私はその話が、とても印象に残りました。同じ30秒の間に、私は会話をどう進めるかを考え、先生は目の前の人について考えている。 私も仕事では、相手が今どんな仕事をしているのか、どのような役職に就いているのかに関心を向けていました。でも、その人の言葉が生まれる背景にまで、目を向けていただろうか。以前の私は、1on1でも「今日は何でも言っていいんですよ。私は聞きますから」と伝えていました。それでも相手が話さないと、もう一度「何でも言っていいんですよ」と促す。いま思えば、こちらは聞こうとしているつもりなのに、相手を檻の奥へ追い詰めるようなことをしていたのかもしれません。 自分にも、見えていない背景がある 授業で提出したレポートにも、自分では気づかなかったことが表れていました。あるとき先生から、「及川さんのレポートには、できた、できなかったという判断が多いですね」と言われたのです。私自身は、それまでまったく気に留めていませんでした。 今回はうまくできた。今回はできなかったから、次はこうしよう。それは、自分では前向きに振り返っているつもりだったのです。先生に「たとえばどんな視点があるのでしょうか」と尋ねると、「相手の気持ちが見えた」という視点もあれば、「心地よかった」という視点もある、と。でも私は、「できた・できなかった」で捉えている。その違いを知ってから、レポートの中の「達成した」や「次回こそは」という言葉まで気になり始めました。 私が思わず謝ると、先生は、悪いと言っているわけではない、自分が気づいたので伝えたくなっただけだ、と言いました。思考の癖を指摘されて、私はそれさえ直すべきことのように受け取っていたのでしょう。そこで初めて、なぜ私はこう考えるのだろうと、自分で振り返ることになりました。 長く成果を求められる世界にいれば、「できたのか、できなかったのか」「できないなら、いつまでにできるのか」と問われます。私自身も、そう問い続けてきました。その時間が、自分でも意識しない判断の軸になっていた。「あ、私ってザ・サラリーマンなんだ」と、思いました。 大学院には、看護や介護に携わってきた人も、大学を出たばかりの人もいます。経験してきた世界が違えば、同じことを学んでいても、そこから受け取るものは違う。自分では自然な振り返りだと思っていた「できた・できなかった」も、そうした見方の一つだったのです。 私は、こうした経験を「アンラーンされていく」と感じています。知識を蓄えているはずなのに、玉ねぎの皮を剥くように、自分の中にあった考え方が剥がれていく。少し居心地の悪さもあります。私の言葉には背景がある。ならば、相手が選ぶ言葉や、こだわっていることにも、その人が経験してきた時間があるはずです。 大学院での授業風景と発表風景。 同じ考えにならなくていい そう考えると、相手のこだわりへの向き合い方も変わってきます。なぜ、この人はこの言葉を選ぶのか。なぜ、そこにこだわるのか。私は以前なら、「今こだわるのは、そちらではなく、こちらではないでしょうか」と言いたくなったと思います。でも、それは私から見た優先順位です。その人には、その人が大切にしている理由がある。そこを知ろうとするには、時間がかかります。正直に言えば、面倒に感じることもあります。 それでも、意味のない1on1を3回続けるより、一度きちんと向き合って、その人が大切にしていることを知るほうがいい。その後は、「この人は、こういうことを大事にしているのだ」と分かったうえで、マネジメントができるからです。目の前の話を先へ進めることばかり考えていたときには、そこまで見えていませんでした。 対話とは、リスペクトである。私はそう考えています。目の前の意見や言葉だけでなく、それが生まれてきた背景まで含めたリスペクトです。ただし、相手を理解しようとすることは、自分の考えを引っ込めることではありません。相手が何を大切にしているのかを知ったうえで、自分が大切にしていることも伝える必要があります。 「あなたがそこにこだわる理由は分かりました。そこが大切なのだと理解したうえで、私がこだわっていることも伝えるとね……」というふうに、相手を知ろうとすると同時に、自分も開示する。それぞれが大切にしていることを伝え、関係をつくっていく。その過程が対話なのだと思います。 たとえば、シニアの方にこれからも活躍してもらいたいと考えるとき、「シニアだから」とひとくくりにしてしまうことがあります。でも、こういう仕事をしてきて、こういうバックグラウンドがあって、こういうことにこだわりのある何々さんが、あと10年仕事をするにはどうすればいいのか。そう考えると、向き合い方は変わるはずです。新しく入ってきた若い人に対しても、一人の人としてリスペクトしているかどうかが問われます。 さまざまな人と一緒に仕事をするリーダーには、それだけの懐や器が必要なのでしょう。私も対話による経営をしてきたつもりでしたが、学んでみると、もっと奥が深かった。相手の考えを一度聞けば、その人が分かるわけではない。関心を持ち続けることの意味を、改めて考えています。 その人の人生を、鑑賞する 一度見ただけでは気づかなかったものが、時間をかけることで見えてくる。これも大学院の授業なのですが、アートの鑑賞ではそのことを実感しました。三人一組になり、一人が目隠しをし、その人に対して残りの二人が作品を言葉で説明するのです。同じ作品を見ていても、二人の説明は少しずつ違います。どこに目が向くのか、何を言葉にするのか。それぞれの見方が表れます。 聞いている側も、その言葉から頭の中に作品を思い描きます。そこにも、その人の思考が入ってくる。説明が正しかったか、元の作品を正確に再現できたかということより、三人で一つの作品に向き合っている、その時間が興味深いのです。 一枚の作品を説明するのに、10分ほどかけます。美術館で、一枚の絵をそれほど長く見続けることはなかなかないのではないでしょうか。ところが、人に伝えようとして見ていると、途中で「あ、ここに黄色いものがあった」と気づきます。形の歪みに目が向き、作者はここを描きたかったのかもしれないと考える。最初から作品にあったものが、少しずつ見えてきます。作品に何かが加わったのではなく、そこにあったものを、私たちが見ていなかったのです。 目の前の人が黙っているときも、そうなのかもしれません。困っているのか、言葉を探しているのか。すぐに話を促せば、なぜ黙っているのかを考える時間もなくなってしまう。最初に見えたものだけで分かったつもりにならず、その人に関心を向けてみる。アートと対話は、私の中でつながってきました。 アートについて学ぶなかで、先生が「皆さんは鑑賞者として、僕の人生を鑑賞してください」とおっしゃったことがあります。作品と鑑賞者の関係を、人と人との関係として考えてみると、目の前にいる人も、何十年もの時間をかけて今のその人になっている。その人を、リスペクトして鑑賞できるかどうか。 私は、その言葉にも対話とのつながりを感じました。今、目の前にいる人には、私がまだ知らない経験や大切にしてきたものがある。何を話してくれるかを待つだけでなく、その言葉が生まれてくる背景まで知ろうとする。そんなふうに、人と向き合っていきたいと思っています。 アートの授業で制作した作品(左:アートとウェルビーイング、右:海と根)

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